もぐらくんの生活

仮想空間「もぐら堂」で日々の生活をボチボチ綴っています。

絵本を読みました。(^o^)//

このブログにご訪問していろいろな形で応援してくれる皆さん、

いつも、とてもとてもたくさんのどうもありがとう。(^o^)//

今日は11月1日ですが、もぐら地方は最高気温が25℃で、未だこの時間になっても、

20℃以上あります。

明朝はこの秋1番の冷え込みって、つまり今の季節は何に当たるのでしょう?

 

さて、先日借りてきた絵本を読みました。

いずれも表紙を捲るのにドキドキ、ドキンちゃんになりました。

 

皆それぞれ素敵でしたが、絵本って哲学なんだと思いました。

もぐらは何でも哲学にする傾向がありますが、人類の根源が哲学なんだと思いました。

博士号のPh.Dって、本来、哲学博士のことじゃないですか。

 

哲学って堅苦しいことじゃなくて、とっても身近な事柄で、生きてる人は普通に哲学

しているんだと思います。

 

絵本は、落ち着いた時間がゆっくり流れる静かな場所で、珈琲なんぞ(コーヒーじゃ

ダメなの!)楽しみながら、ソファーで読みたいと思いました。

 

ショーン・タンの「The ARRIVAL」はちょっとショックでした。

悪い意味で無く、美術書

文字は一文字も無い。

蔵書にしたくなってしまいましたが、無理かな。

変な良い方ですが、飾りにもなる絵本です。

壁に絵画も素敵ですが、書斎風の部屋の棚の上に、写真などと一緒に立てかけておくと

相当かっこいい気がします。

訪れた人がふと手にして、扉を開いたら、勝手に読み始めているんじゃないかなぁ。

こういうものを持っていても損しない1冊って言うんだろうと思いました。

 

今回は絵本ワールドに入る端緒になったので、また時間を空けて読んでみたいと思い

ます。

次はブログのお友達がお勧めの ”エリックカール” や ”レオレオニ” も探してみたいと

思います。(^o^)//

絵本を借りてみました! (^o^)//

このブログにご訪問していろいろな形で応援してくれる皆さん、

いつも、とてもとてもたくさんのどうもありがとう。(^o^)//

天候が安定しない日々が続いているだけではなく、災害を重ねるように起きています。

水の怖さを改めて実感した年にもなりました。

日本の多くの地域で災害復旧中になっています。

大自然は決して人間に優しくあろうとは思っていないことは心(肝に銘じて)に留め

ておきたいと思います。

 

昨日もぐら地方は25℃に達し、半袖・短パンでも暑くて汗を拭っていました。

体は冬に備え始めているので、突然の気温変化は疲れの元になります。

 

さて、もぐら、何を思ってたのか、突然絵本が読みたくなり、買うのでは無く、図書館

で借りてみました。

昨日他館から届いたので、実は未だ読んではいません。

3冊借りました。

 

1冊目

f:id:happy_mogura:20191027112631j:plain

2冊目

f:id:happy_mogura:20191027112731j:plain

3冊目

f:id:happy_mogura:20191027112803j:plain

普通早速読みましょうとなると思うのですが、表紙を楽しんで、捲るのは明日以降に

しようと思います。

絵本の世界って、怖いじゃないですか!

若い頃は何人かの人に貰ったことがあるのですが、センスが出てしまうんですよね。

差し上げるとなると、正直下手な仕事より、大変です。

自分のセンスを問われるような恐怖を感じます。

それなりの読書家に、自分の書棚を見られるくらい恥ずかしい・・・。

 

今回は初めての自己選択と言うこともあって、直感だけで選んで見ました。

表紙を開けるとどんな世界が待っているのかなぁ。(^o^)//

もぐらのための備忘文記録 文/山本奈緒子 氏

累計販売部数200万分超えのベストセラーシリーズ『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』。著者である岸見一郎先生は、「トラウマは存在しない」「すべての悩みは対人関係にある」といった斬新な考え方が話題となったアドラー心理学の第一人者としても知られています。その岸見先生が、幸福について考えたのが『幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの知恵』(講談社現代新書)。そもそも幸福とは何か? そして幸福への道とは? 本の内容から、一部を抜粋してお届けします。

 

幸福は空気のようなもの
どうすれば幸福になれるのかを考えようとすれば、まず「幸福とは何か」という問いを立てなければならないだろう。幸福が何かを知らなければ、どうすれば幸福になれるかも分からないからだ。だが問題なのは、幸福については定義することができないということだ。

幸福は空気のようなものだ。空気がある時には誰もその存在には気づかない。なくなった時に初めて、空気があればこそ生きることができていたことに気づく。幸福も、失われた時、初めてその幸福を経験する。だから、幸福が失われるのはどんな時なのか、その時どう感じるかを見ることが、幸福が何であるかを知ろうとするためのきっかけになる。

成功しさえすれば幸福になれると信じる人たち
大学に入り、就職しさえすれば幸福になれると思っている人がいる。そのような「成功」を約束し、そのための方法を教える人もいる。
そのような知識を教える人は、幸福と成功を取り違えている。お金を得るというような成功も、たしかに幸福を構成する要件ではあるかもしれない。だがそういった人は、はたして成功することが幸福なのかという疑問はいささかも持たない。成功しさえすれば幸福になれると、固く信じて疑わない。

立身出世という言葉は今の時代は死語なのかもしれない。たとえそのようなことを願っていても、大企業であっても潰れる時代なのだから、たとえよい学校に入り、よい会社に入っても幸福な人生を送れるかどうかは分からない。
それでも時代の変化に気づかず、あるいは気づかないふりをして、今なお、少なくとも自分だけは幸福になれると思い、競争に勝ち抜くことで幸福をつかみ取ろうとする人もいる。そのような人にとっては、よい学校、よい会社=幸福という図式が崩れた今の時代状況は、幸福を阻む要因以外の何ものでもない。

幸福に「なる」のではない、幸福で「ある」のである
成功することが、幸福に生きることを保証してくれるわけではない。この場合の成功とは有名大学に進学し、一流企業に就職するというようなことだろうが、そのような人は子どもの頃から、まわりの大人に成功することが大切だと吹き込まれている。
 家族や親戚に成功した人がいれば、そんな人になれと言われる。かくて、何かに「なる」ことが大切だと思ってしまう。今「ある」ところにいてはいけなくて、どこかに向かっていかなければならない。当然、後ろに退くことなどあってはならない。

哲学者の三木清は、成功は「過程」に関わるが、それに対して「幸福は存在に関わる」と言っている。何も達成していなくても、何も所有していなくても、成功しなくても、人は幸福になることができるのだ。
より正確に言えば、成功しなくても幸福に「なる」のではない。幸福で「ある」のである。それが「幸福は存在に関わる」ということである。

成功・不成功と幸福・不幸を同一視している人は、成功しなければ幸福になれないと思っている。しかし今日では、成功したからといって、そのことがかえって人を不幸にするケースが頻りに報道されている。それでも、成功を目指すことを完全に断念する人は少ない。高学歴で一流といわれる企業に就職しても、過労死しかねない労働を強いられることがあると聞かされていても、そしてたとえそのような生活が幸福には結びつかないことを知っていても、自分に限ってそんなことにはならないと思う。実際、多くの人は昇進し、経済的に報われる生活をしているのだから、自分もそのような生活を送れるに違いない、そう思いたいのだ。

 幸福は質的なものと知れば、嫉妬しようと思わない
三木清によれば、幸福は質的なものであり、成功は量的なものである。
お金を得ることや出世するというようなことであれば、イメージはたやすい。ところが幸福は質的なものであり、しかもその幸福は「各人においてオリジナルなもの」なので、他者には理解されないことがある。成功が一般的であるとすれば、幸福は個別的である。

量的なもの、一般的なものと考えられる成功は誰にでも手に入れられるように思われるので、嫉妬の対象となりうる。他方、幸福は質的であり、個別的、各人のものなので、他者からの嫉妬の対象とはなりにくい。
それでは量的なことであれば、必ず嫉妬の対象になるかといえばそうではない。百メートルを走るのに十秒を切る人がいても、そのような人を嫉妬する人はほとんどいない。決して自分の手に届く記録ではないことを知っているからだ。

他者の美を妬む人はいる。他者の美を量的なものと考えているからである。美を量的に捉えている限り、自分にも勝てるのではないかと思う。しかし、他者の美に到底追随できないとわかれば嫉妬しなくなる。つまり、美が質的な差異であると知れば嫉妬しようとは思わないし、勝とうとも思わなくなる。化粧や整形ではどうすることもできない美は追随しようがないからである。

 その際、自分は他者の美に敵わないと思う必要はない。他者と自分の美は質的に異なり、比べることができない。そう見ればいいのである。もちろん、自分の質的な美も他者から追随されることはない。

幸福であると思われさえすれば良い、という人は多い
また、幸福であると「思われる」ことには意味はなく、実際に幸福で「ある」のでなければ意味がない。実際に幸福で「ある」人は、他の人には幸福に見えないかもしれないとしても。

プラトンは『国家』の中で、ソクラテスに次のように語らせている。

「正しいことや美しいことの場合は、多くの人はそう思われることを選び、たとえ実際にはそうではなくても、とにかくそう思われることを行い、そう思われるものを所有し、人からそう思われさえすればよいとする人々が多いだろうが、善いものの場合は、もはや誰一人、自分の所有するものがただそう思われているというだけでは満足できず、実際にそうであることを求め、たんなる思われは、この場合、誰もその価値を認めないのは明らかではないか」

幸福であると思われるだけでは何の意味もない。実際に幸福でなければならない。成功して富を得たとすれば、その富の額は測れるという意味で量的であるから、その額によって富を所有する人が幸福に見えるかもしれない。だが、富を所有していることが本当に幸福なのかといえば、決してそれは自明ではない。

「幸福感」を追求することは危険である
およそどんな行動をする時も、何を目的として行動するかを問題にしなければならない。その目的とは善であり、幸福である。それを問題にせず、情緒的なものに訴え、行動へと駆り立てるのは危険である。
 為政者は国民の熱狂的な幸福感を必要とする。為政者は国民が自分で考え、判断することを何よりも恐れる。為政者の考えを無批判に受け入れさせなければならないからだ。そのために感情に訴え、感情を煽らなければならない。

他者に煽られたり、流されたりすることなく、自分がしようとしていることの目的を見極めようとする人は、主体的に幸福を選択することができる。そのような人は、皆が進むのと同じ方へと向かって歩いていこうとはしないことがある。皆が酔っているのに、その人一人だけが醒めている。皆が成功を目指していても、日常のささやかな幸福があることを知っている。そのような人が為政者にとって好ましくない人であることは間違いない。

幸福とは何か、どうすれば人は幸福になれるのかと考え始めた時、人はもはや幸福ではないのかもしれない。とはいえ、このような問いを立てないといけないような不幸な出来事を経験しない人もまた、いないだろう。

しかし、幸福を阻むように見えることがすぐに思い浮かぶとしても、そのこと自体がすぐさまその人を不幸にするわけではない。反対に、成功したり、幸運に恵まれたからといって幸福になれるというわけでもない。それどころか、これまで見てきたように、何かを経験するから幸福になるわけでも、反対に不幸になるわけでもない。繰り返すが、人は幸福に「なる」のではなく、すでに幸福で「ある」。そのことを知った人は、幸福になるために何かの実現を待たなくても、日常の瞬間に幸福を感じることができるだろう。

 

岸見一郎
哲学者。1956年生まれ。京都在住。高校生の頃から哲学を志す。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。(←もぐらの註 超エリートを意味している)哲学と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。古代哲学やアドラー心理学の執筆、講演活動、また精神科医院などで多くのカウンセリングを行う。著書に『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(ダイヤモンド社)、新著『哲学人生問答 17歳の特別教室』(講談社)などがある。

<書籍紹介>『幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの知恵』
岸見一郎著 講談社 ¥760

アドラー心理学の第一人者として知られる著者が、アドラーソクラテスプラトン、ソロンなど様々な古代ギリシアの哲人の智恵から、「幸福」について徹底的に追求。私たちはなぜ幸福になれないのか、幸福への道とはどのようなものなのか。そして人生をどう生きるべきなのかを、あらゆる視点から論じた一冊。


文/山本奈緒

 

もぐらメモ

※もぐらの自己探求の結果と同じ解を持つ人がいたことを知って、凄く驚く。独学で

も研究できる事を実感した。

I am.の意味が分からない人が多いと言うことも、講師の時期を通して驚いたことと

似ている。

哲学とは答えを出さないことがその目的である事を知らない人が多いと言うことにも

通ずる。

夏の終わり と モロモロ のこと

このブログにご訪問していろいろな形で応援してくれる皆さん、

いつも、とてもとてもたくさんのどうもありがとう。\(^_^)/

 

せっかく字数制限の無い、はてなに移ったのに、記事を書かなきゃね・・・。

みんな優しいので、止まっている記事に、コメントを重ねてくれたり、スターマークを

追加してくれたり、有り難いなぁ。

 

今回の連休でどうやら夏の勢いは影を潜めたような気がします。

春の始まりはむくむくって言う感じの柔らかさに包まれる感じがありますが、

夏の終わりって、一斉に姿を消してしまって、やはり寂しい印象があります。

 

でも、夏のあの開放感に踊らされた感じとは、また違って、落ち着いた静寂の中で

芸術を堪能ですか。一部、食欲の堪能に走ってしまう方も・・・。

 

もぐら自身も今年の暑さの中での読書は、正直進みませんでした。

毎日、あぢーの連続で活字が汗になって、飛んでいって言ってしまいました。

同時にたくさんの冊数を読もうとしたのも、いけませんでしたね。

ビジネス書や小説はそれが出来ても、学術書や思想関係を平行読みすると、(@_@)

こんな感じ、秋を迎えて、寺子屋で正座して、背筋を伸ばして、一葉ずつ捲っていく

スタイルで行きたいと思います。

 

この夏、暑さでボーちゃんになっていたもぐらですが、ボーッとしていることにも

効果があるもので、もぐらには納期があるものは無いことに気が付きました。(^o^)//

あらゆる事が中途で終ってしまって構わないし、一切の成果が出なくても、残らなく

てもいい。

日々幸せであれば、それで十分。

 

ただ念のため、言っておくと呆けて幸せになっている。「恍惚の人」じゃないですよ。

毎日の9割の苦(生老病死)は捨ててしまっているだけで、1割の幸せを喜んでいる

のです。1割だけど、残り9割の苦を捨てて空いているので、結果的に、10割幸せ

になっているわけです。

 

今朝来たメッセージに「もぐらくんは幸せ探しの名人」なんじゃ無いのって、書いて

あったのですが、幸せセンサーが敏感であるとは思っていたけど、そう言う面もある

のかなって思いました。感動屋だからなぁ。

 

地震・台風などの自然に基づく災害が日本全国を覆い始めました。

被災に、復興が間に合わないうちに、被災します。

知恵を養うべき最後の時期に歴史上当たっていると感じます。

救助の失敗で命を落とす事もある。

みんな精一杯やっていても、漏れてしまう命はあります。

良い意味で全員何の保証も無いという公平な条件の中にいると言うことは、

心に留めておきたいと思います。

だからこの瞬間、ボーちゃんであっても、生きていることは幸せなんだなと思う。

「覚悟」じゃ無いでしょうか。

覚悟をしている人は、男女を問わず美しい!

もぐら堂においでの際には、ひととき浮世を忘れて「もぐらびと」を味わってください。

このブログにご訪問していろいろな形で応援してくれる皆さん、

いつも、とてもとてもたくさんのどうもありがとう。\(^_^)/

 

今日は大風で、昨日までにコツコツ作業していた雑草除去シートがめくれてしまい

ました。(中は見えないように、上品な細工はしてありました)

 

風は怖いんですよ。

現役の時、直線を見るのに「水糸」をよく張りました。

強風で無くても、30mも張るともうダメです。

テープ(一般的には巻き尺)に至っては、幅が少なくとも1.5cmはありますから

ひらひらして、綺麗かも知れませんが、直線距離は測れません。

 

面の場合は、もっと凄い。

畳一枚、強風の中で運べられたら凄いことです。

お利口な人は風と闘うことはしないのです。

 

ここでふと気が付きました。

ゲゲゲの鬼太郎に登場する「ぬりかべ」は凄い妖怪なんだ!

重さが武器だとずっと思っていましたが、実は立っていることの方がもっと強力な

武器だったんだ。

 

子泣きジジイが「夜泣きジジイ」に変化している現代。

夜回り先生も疲れてしまった。

 

各人それぞれが然るべき原点に戻って、シンプルな頭脳に回帰した方が良いのかも

知れません。

 

外山滋比古という人がいるのですが、ちょっと面白い本を書いたようです。

95年間、この世を見てきた学者の人生のサバイバル術に触れられるかも知れません。

 

おもしろい人生に昼寝は大事? 

95歳の賢人が説く「5つのヒント」

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190920-00000010-sasahi-life&p=1

 

それじゃあ、また (^o^)//

いろいろあります。

このブログにご訪問していろいろな形で応援してくれる皆さん、

いつも、とてもとてもたくさんのどうもありがとう。\(^_^)/

もぐらです。

yahooブログが凍結されて以来、なんとなく皆さんの中で変わったものを感じます。

 

もぐらはこの夏の暑さと不規則な天候(気温の変動)が結構キツい感じです。

リハビリも病態下降を防ぐためのものなのですが、これが楽なものでは無く、疲労

かなり発生します。

しかし、やらないともっと早く進んで、本当の寝たきりになってしまうよ。という

現実が怖くて頑張っています。リハビリ自体の爽快感・気分転換は好きなんですよ。

ランナーズハイと同じ、リハビリハイがあるんです。

ただやはり疲れるから・・・。

 

昨日はお彼岸の入り。

3連休の天候悪化が怖くて、ひとりで昨日の午前早めに行って来ました。\(^_^)/

ただ、考える事は皆同じだったのか、大渋滞。

でもどうにか、お掃除もして済ませてきました。

母方本家のお寺のお墓参りは未だに気持ちが引き締まります。

とくに卒塔婆がカラカラ音を立てると、もぐらに気が付いたのかな?って思います。

もぐらのお墓はもぐら堂には無くてちょっと離れている公園墓地ですので、卒塔婆

無いし、明るくて、広いので見通しが良い。

それでいて静かなので、こころが無になります。

 

不思議なんですが、もぐらは場所や時間に関係なく、結構自在に無になれるんですね。

音も全く聞こえません。(寝たり気絶しているんじゃありませんよ)

ただ、鐘の音と鈴(りん)の音と、蝉の声だけは意識はしませんが、聞こえます。

正直者(か、どうかは相当怪しいけど)の頭(こうべ)に神(仏)宿るは頻繁に経験

します。

そもそもこのブログを書いているのは人間じゃ無くて、もぐらだし。(笑)

 

いま、ひとつ悩みがあって、(もぐらは単細胞なので、ひとつずつしか悩まないのです)読書で頭が混乱しているのです。

 

いつまでも生きているわけじゃ無いので、それと体力の問題もあるし、遠くに置いて

思っていることは止めて、本堂にいることにしたのですが、

「超越と実存」

純粋理性批判

「自省録」

「いきの構造」

「自然(じねん)を生きる」ほか、

「論理学入門」も未だ半ば・・・。

・・・

恥ずかしいけど、超越と実存は甘く見ていた・・・。

正直メモを取り、図解していかないと、2ページ進んで、1ページ戻らないと、頭の

中で構築された内容が消えてしまう。

・・・

それは何を意味するかというと、今まで自分が持ったことの無い概念にぶつかって

いることを自覚していることになる。

 

そんなわけで、どーしーよーかーなー~な状態なのであります。

ちょっと、逃げ腰というか、大木の陰に隠れ場所を求めているというか・・・。

 

※皆さんスターマーク付けるところ無くて、同じ記事に貯金して頂いている(涙)

優しいんだよね。もう少し更新できると良いんですけど・・・。

ありがとう。(^o^)//

✨報告でーす。

このブログにご訪問していろいろな形で応援してくれる皆さん、

いつも、とてもとてもたくさんのどうもありがとう。\(^_^)/

もぐらです。

前回、ブログ移行ツールで移行しまーす。

と、お知らせした直後に、至急登記しなければならない事件の法定調査書の作成を

手伝って欲しいと仕事の依頼(もぐらはときどき日給1,000で、お世話になった先輩

資格者のお手伝いをすることがあります。)がありまして、たまたまあちこちの病院

の診察日は重なるは、暑いは、頭の中は夏眠中だわ、で、ブログがはてな?になって

しまいました。

 

訪問もサボってしまいました。

ディスプレイに向かって、ごめんなさい。<(_ _)>

 

仕事の方は昨日で完了したので、今日はのんびりしています。(^o^)//

ただ、未だ暑くてゲリラ豪雨は酷いし、なんだか日本に避暑地が無くなってきている

ような・・・

 

千葉県の方は停電災害により、冷房も使えず、熱中症はじめ、日常生活に於いては、

被災者となっています。全国各地で場所を選ばず、被災地が増えていって、復興は

全く追いつかない現状に、お遊戯の為の仲良し組閣なんてやっている場合じゃない。

 

被災者の皆さん、こんな日本の政府の下ですが、どうにか頑張ってください。