もぐらくんの生活(Carpe diem)

COPDを抱えて、仮想空間「もぐら堂」で日々の生活をボチボチ綴っています。

🔔もぐらです。分離ではなく融合で\(^_^)/


もぐらです。

コメント・ナイス・ご訪問してくれる皆さん、
そして、人知れず応援してくれる人に、たくさんのどうもありがとう\(^_^)/

寝ぼけている間に、平成最後の大晦日になりました。

みなさんは本日深夜0時の表示に向かってお忙しいことと思いますし、もぐらは最近、忘却曲線が本人の望まない軌跡を描くようになりましたので、忘れないようにご挨拶をしておきたいと思います。

「ブログ開始以来、本年もまた、もぐらの身勝手なブログに対し、心温まる皆様の応援をいただけましたこと、誠に嬉しく、みなさんのお気持ちは間違いなく、体調の悪化を食い止めて頂いていると思っています。もぐらの思いを言葉にすると、安っぽい表現しか思いつかなくなってしまうのですが、自分の表現力の貧しさを嘆きながらも、文字にしようと思います。たくさんありがとうございます!明日からも変わらぬお付き合いを心より望んでいます。」

※本当は毎日お世話になりましたって書きたいけれども、毎日ブログ書けないからなぁ。

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さてせっかくの日なので、実験をしてみたいと思います。何をするかというと、ダラダラを書き殴って見たいと思います。
(いつもダラダラ書いてるじゃん。と言う突っ込みは無しでお願いします。\(^_^)/)

今回の音楽は「J-WAVE」(全国版?)というFM放送局が開局する前に、試験放送の為に24時間流しっぱなしになっていた曲です。この曲を聞いていた時、やっとハイブロウ(死語?)な放送局が出来るのかと期待したものです。日本語少なく、しゃべり少なく、洗練された選曲の放送。当初は事実そうだったんです。今は世俗化してしてしまい、センスある名前も泣いていると思います。当然ながらお金なんですね。広告収入のために、本質の方が変わらなければならないのです。

TBSが24時間無料のクラシック放送をしていたのですが、人気があったにもかかわらず、非生産番組とTBSが判断し、実質一度潰れました。今は確かNAXOSからの資金援助と各種商品の販売や一時期は寄付を募るなどして、今もどうにか続いていますが、大切なものが失われてしまった番組であることは間違いないです。

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来年からリハビリテーションのために新型(新しい運営形式?)のジムに行くことにしたとお伝えしたと思います。その見学の際、案内してくれた女性が「新年早々キャンペーンをする予定なので、本当は内緒なのですが、年明けを待って、そちらで会員になった方が安いと教えてくれました。そしてその後も会話は続いており、「靴だけはきちんとアスリート向きの室内履きを揃えて欲しいんですが、服装は普段のTシャツとジャージで十分で、無駄なお金をかけること無いですよ。」とこちらが嬉しくなるようなことを言ってくれたので、安くリハビリテーションを出来るなぁ。と思いながら喜々として、もぐら堂で服を探して着てみました。

今でしょ、もとい、嘘でしょ・・・。
太ってしまって、全部着られないじゃないか・・・。
結局、スポーツ専門店に行って買うことになりました。
今はワークマンと言い、ホームセンターと言い、デザインや機能が凄いんですね。
これは間違いなく化学の進歩です。
持ちは悪いが、素晴らしい。

イタリアの本物の革靴、値段も50万とか当たり前にするけど、一生持ちますからね。
日本は革靴文化はありませんから、足袋とか、地下足袋とか、草履、下駄など素晴らしいものがありますが、革ものは技術が劣りますね。

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今年をひと文字で表すと、別に表す必要ないと思うのですが、もぐらの場合は、ズバリ「幸」です。
「災」という字を書いた方がいるそうですが、もぐらは少し理解しかねます。
一体、その方は何時になったら「幸」という字を書くつもりなんでしょうか?

感性の違いなんでしょうね。

とりあえず、地球儀を1度、回してみて欲しいです。
彼の方にとって、幸というのは、最高の満足度に至らないと出てこないんでしょう。
敢て幸と書いて、非難轟々でしょうから、足るを知る1年であったと思うのでと言えばカッコイイのに。

もぐらは事実幸福なのでどんどん使っちゃいますよ。それが事実だから・・・。
でも決して「のほほんとした幸じゃ無い。」
求めるものが低いのか、基本的な「苦」は当然と思っているのか、苦労は山ほどある、悲しみの深さは
まるでマリアナの深さじゃ足りないぐらいだ。でも、それでも、もぐらはそこから、全てが始まると思っている。つまり、マイナスはすべて、ゼロ・リセットされてしまうので、プラスにしかならない訳です。

実際、理屈はともかく、常にもぐらは「幸」状態にあるわけだから、他に表現のしようが無い。

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時間は現実には存在しないと思っています。

理論上、必要なので、時間という概念は使いますが、時間と言うものを証明した人はいません。
何年も昔のある青春のまっただ中での恋の思い出が、何年もかからず瞬時に頭に蘇るのは何故でしょう。時間掛かっていませんよね。過去は何処にもありませんよね。言葉と概念があるだけで・・・。
未来も同様、存在しません。

時間は人間が便宜作り出した根拠の無い名称にしか過ぎません。

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時間という概念に対して、もぐらは少し取り扱いを変えようと思っています。
今日、大晦日、明日、元日・・・一応区切りらしくなっていますが、今日は旧暦11月25日ですよ。

今日のタイトルは非常に抽象的で、みなさんには伝わりにくいと思いますが、頭の中は全て区切りなく生きていこうというもぐらの考えです。実はタイトルだけで1週間近く悩んでいました。良い対照表現が出てこなくて、敢て語源を無視して分かりやすく表現すると、もぐらに関する全てのことをシームレスにしたいとい事です。今日とか明日とか、昼とか、夜とか、外部で無理矢理規定されたスケールに下だって生きたくないと言うことです。もぐら個人にとって、全てが融合されて、連続してるものはもぐらの頭の中だけなんです。その自分にとって確かな連続を大切にしようと言う事なんです。

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宇宙物理学では、宇宙の外には何も無いと言うことが学問の前提です。
それと同じくして、もぐらの頭の中の連続から見ると、全ての外部的現象は分離された事象のバラバラの存在でしかないと言うことです。

何処までを人類というのか?

簡単そうで、実は難問である。

もしかしたら、あなたはご自分の認識とは違い、人類では無いかも知れない。

ここに大きな落とし穴があります。
分けようとするから、細分化しようとするから、分類化しようとするから、むしろ、そのことが逆に
無意味な比較対照を発生させ、孤立化させてしまうのです。

現代において怖いことは、核とWWWとこのパラドックスparadox)なのではないかと思います。

穏やかな融合、若しくは結びつきにより、存在しない基準から外されてしまった人や物事を
排除しない。

人類に含まれる人は等しく人類であり、それ以上でも、それ以下でも無いという状態を目指す時、その点に於いて、初めて人類の存在の意義があるように思われてなりません。

少なくとも、地球に於いて、人類以外のあらゆるものは、人類の滅亡が本来の弱肉強食の法則に従って
生きてゆける方法であり、一刻も早い人類の消滅を望んでいると思います。\(^_^)/

さて、文章半ばであるが、そろそろ、現実の中のもぐらに戻ろう。

皆様には、限りない(融合された)幸せに包まれますように!\(^_^)/