もぐらくんの生活(Carpe diem)

COPDを抱えて、仮想空間「もぐら堂」で日々の生活をボチボチ綴っています。

ブログ7日目 - さらにありがたいことに & それと初めて仕事のことも

ブログマスターもぐらです。

昨日の夜も今日も寒い。
去年もこんな感じだったのかな。いい加減なもので体は忘れてしまうらしいです。

昨日は奢ってくれるという話に乗って、しかも待ち合わせは日暮れ以降だったので、穴から出て行きました。

上手かったです。暖かい場所でご飯を食べる。そんなことがなんと幸せなことか。

世間では、今日のすみか・明日の食事、いや今日のすみか・今の食事もままならない人が大勢いる。
心が痛む。偉い人たちはどうにかしてくれないだろうか。
私の月々の募金なんて何の役にも立たないだろう。

寝るところと3度、せめて2度の食事は全国民に最低限保証できる国にいつになったらなるのであろうか。(それに加えて国民は病との戦いがあるのだ)

「衣・食・住」ではなくて「住・食・病」な気がする.

昔から「日本は貧乏な国なんだよ。」と言っていた私はあながち間違っていなかった気がする。


さて、昨日の話。食事をしながら、2時近くまで話し込んでしまった。
話し込んでしまったと言うよりも話を聞かせて貰ったという方が正しいかも知れない。

とても考えさせられました。

不思議なんですが最近人の言葉がやけに素直に心にしみこんでくる。

大宅壮一の言葉ではありませんが、「時間があったら人に会え」というのはけだし名言ですね。
以前は誰に会えばいいのだと思っていましたが、いろいろな人に会うのだ。ということが分かってきました。

安易に世間の人々というスタンスですれ違うこともないまま終わってしまう日々ですが、それぞれの人がみんな自分と同じようにいろいろ考えて居るんだな。と思うと何か透明な空気がみんなの考えであふれちゃあうんじゃないかと心配になるぐらいです。


さてところで昨日の話。同じもぐら族なので通じる話題がある。ちょっとむずかしいか。

我々は不動産登記法土地家屋調査士法(私はもぐら規定といっている)に従ってその業務を行っているわけですが、誤解を恐れず申し上げると、重要なのは境界問題です。境界で裁判とか境界で殺人とか
報道でも取り上げられますね。脅かす訳じゃなくて、そのくらい大切なことなんだということです。
境界は国境にもたとえられますが、必ず誰かと接する。接すると言うことはその所有者である人がいると言うこと(私の場合は他のもぐら)人がいると言うことは感情があるということ。理論や理屈ではないんです。感情というのは「人の心」ということです。

「心」が関わるというのは我々の業務の境界に限らないかも知れません。
むしろ、日常のそのほとんどが「こころ」といっても良いかもしれません。

ちょっとつっこんで進んでしまいそうなのでやめましょう。


閑話休題


私の仲間が激写されてしまいました。

泳げるとも書いてあるので、ちょっと私より出来るやつのようです。

私は泳げないのでカッパ淵に連れ込まれて危なかった経験があります。

興味のある方はリンクをたどってみてください。

HNKのものなので、著作権には十分ご注意を。

http://www.nhk.or.jp/darwin/program/program014.html

今日はこの辺で。

 

【以下は当記事のコメントです】

 

★ぽんきちさんへ

ナイスありがとう。\(^_^)/ もぐらくん