もぐらくんの生活(Carpe diem)

COPDを抱えて、仮想空間「もぐら堂」で日々の生活をボチボチ綴っています。

2020.01.01.00:00 もぐら時間をはじめる。

このブログにご訪問していろいろな形で応援してくれる皆さん、

いつも、とてもとてもたくさんのどうもありがとう。(^o^)//

もぐらです。

ボーッと生きている間に、また、大晦日というものがやってきました。

簡単に言うと、死ななかったので、その時間をいろいろなことで潰したというのが

事実という気がします。

病気が急変して、向こうに渡っていれば、今日は無い。

油断と予断はいけませんが、明日もありそうな気がします。

これがいけないんですね。

保証書が無いんですから、明日は無いと言う前提で生きないと。

 

ところで、世間の事情と現実に疎くなっていますが、WEB上で次のようなテーマを

見つけました。

宮坂学東京都副知事・ヤフー元会長)【佐藤優の頂上対決/我々はどう生き残るか】

引き合いに出してごめんね!っていう気もしますが、よくある記事のタイトルです。

もぐらが非常にこだわるのは我々はどう生き残るかという言葉なんですね。

何故?生き残ることばかり考えるのかが分からないのです。

現在、人間社会だけでも問題山積で、問題は増える一方ですが、問題が解決されると

言うことは、事実、無いに等しい。

ムービングがソフトランディングに向かない。

目の前の問題を少しでも解決して、今生きている人間を最優先にする。

その結果、人類が絶滅種になっても、しようが無いと思うんです。

日本に限っては、平成の31年間は、本当に損失の時間として、歴史に刻まれると思い

ますが、ただ生きていた時間になってしまいました。

令和という元号に変わり、2年目が近づいています。

令和をひとつの区切りとするならば、我々はどう生きたかを纏めて、分析して

何よりもより多くの解決をもたらす為のスタートであってほしいと思います。

過去を理解できないで、把握も出来ないで、明日を迎えてしまう国民が怖い。

西部邁と同意見ですが、一般大衆として多数に基づく国民の選択は大きな間違いを

犯さないという誤った認識は糺されるべきであろうと思う。

 

さて、もぐら時間ですが、難しい事では無く、自分の人生を何のスケールで刻んで

いくのかと言うことでして、通常は西暦とか、元号とか、もともと基準が作為的に

作られたものを便宜、基本的合意の範囲で使っているだけなので、スケール自体の

基準を各個人にしたら如何?と言うことなんです。

簡単な話で、各人の出生(胎内日数は人によって違うので)から死去(生まれ出ずる

の反意語は死に去るで良いのか?)までの日数だけを用いる方法です。

100年生きても36,525日程度ですから、使い勝手が良さそうな気がするん

ですよ。

もぐら今日16,512日目(例)なんだ。

「実際はあなたいくつ?」「16,512」(これは、いちろくごいちに、と読む)

換算してはいけないのです。

換算しようとすると悪いスケールになってしまうのです。

多湖輝「頭の体操」ではありませんが、みんなの基準になれば、数字を聞いただけで

見当が付くようになります。

 

何が言いたいのか?!

 

此の世に於ける今日までの生存日数と人生の総日数だけで良いでしょうということ。

既成概念は斯くの如く、人間の脳を支配してしまう。

 

今年、橋本治が亡くなった。

残念だ!

 

皆様におかれましては、今宵366日分の1秒をご堪能していただけますように。

令和元年、大変お世話になりました。(^o^)//

 

ちょっと良い感じ。

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