もぐらくんの生活(Carpe diem)

COPDを抱えて、仮想空間「もぐら堂」で日々の生活をボチボチ綴っています。

最近のもぐらのことなど (^_^)/

もぐらです。

 

この言葉、何回書いたか分かりませんが、少なくともこの瞬間、もぐらは人間ではありません。

何かを書きたいのですが、まとまりはありません。

もぐらの冬眠とは、休筆を意味します。

家出も良くします。

ブログを始めた時からもぐらなので、昔からの方はご存じだと思いますが、最近いいねをしてくださる方がいるので、ちょっとお世話な説明です。

 

元々、医療ドラマ(ERは金字塔)や法廷ものが好きなもぐら、それに好奇心の強さが重なって、何でも知りたいもぐら。

 

昨年の脳卒中で倒れての入院・手術を経て生還したもぐらは医療ものの書籍を読んでいます。

後遺症で複視と視力の不安定さもあるので、字を大きく出来る電子書籍にしています。

スマホタブレットは物理的なキーボードが無いので字がよく見えないし、打ちにくいので苦労するところです。

 

退院後、リハビリも兼ねて読んだのが、「泣くな研修医」シリーズです。

脳外に入院していたもぐらには、まるで病棟の再現のようでした。

今でも、もぐらの手術が記録された動画あれば見たい。

6時間半の手術時間にどんなことが行われ、どんな世間話をしながら執刀医や麻酔科医、オペ看が作業をしていたのか見たい。

自分の肉体の内部も見たい。(胃カメラ大腸内視鏡でしか見たことない)

 

今日、「祈りのカルテ」を読み終わったもぐらですが、もぐらは自分の疾患については、専門医と同程度の知識が欲しい。それは単に好奇心だけではなく、客観的な立ち

位置で自分を見たいから。事実を判断するのは自分でありたいから。

 

自分の内面(自分自身)と客観的に外から、(例えば)執刀医と並んで患者である自分を見てみたいという思いがとても強い。

 

もぐらの仕事が感情に蓋をして、ロボットのように法に基づいて、事実を述べるというものだったので、もしかしたら、職業病?かもしれませんが、もぐらは問題が起きた時、それが大きければ大きいほど、冷静になってしまうという、非人間的(もぐらだからすでに人間じゃないか?!)な面があります。

 

”皆さん誤解をしますが、弁護士ではありません。中立性が命なので、判事に近いかもしれませんが、判事でもありません。法務局の登記に関するお仕事です”

 

明日からは「神様のカルテ」シリーズを読もうと思うのですが、今でも、実は医師に

なりたかった自分を感じます。

 

COPDのもぐらがどのような疾患で最後を迎えるのか?

それは突然守備範囲(想像していなかった)でなかった脳卒中を起こしたと言うこと

もあり、分かりませんが、何しろ今現在、と言うかこの瞬間生きているもぐらは、1度しか死ねないので死がどういうものか、この目でしっかりと確認したい!。

 

出来れば死んでいく自分が見られたら最高なんですが、それも難しい。

けれども、1回しかないチャンスは無駄にしたくない。

 

ここまで、読んでしまった方。

嫌な思いをしたら済みません。

もぐらはおかしいと思った方は、少しばかりもぐらが言いたいことを想像して下さい。

読んでしまって、でも、良かったと思った方には感謝を。

 

ここで、もぐらが書いたことは、治療方法がなく、1秒も自力で普通の呼吸が出来ず

真綿で締められていくもぐらが、いかにより良くEndに向かって生きて行くかを

模索しているのだ!と受け止めて頂けると、もぐらは非常によろこびます。(^_^)/

 

※伺っている皆さんのブログはもぐらに考えさせるものが多く、感謝しています。

 

今日はどうしても、このブログを書きたかったんです。

「いいね」がないとしても。

 

前回の二重掲載の件については未だ方向は出ていません。

これから確認して見ようと思います。

※1行の文字数が合わないのは何故だろう? すごく嫌だ!