話すと言うことは、放すと言うことだと思う。(^_^)/
もぐらです。
ちょっとブログの操作の記事を書いたせいで、普段のもぐらの記事傾向から離れていたような気がします。
もぐらも最近はひげに白いものが混じり、分別が付いてきたような顔つきになり、
(嘘! 迷える子羊の、と言うか、とろいロバのような顔です)やはり、持病のせいもあるのか、人様の気持ちというか、人間社会に溶け込んでみると、本当に様々な出来事や生き方や考え方など、もぐらにも見えてくるものが増えているような気がします。
もぐらはただ文を書くことが好きなので、頭の中にあることを書いていればかなり、と言うか十分に幸せなのですが、読むということは、書くこと以上に大切で、まず、読むだけの力がもぐらにあるのかと言うことは大きな問題です。
書けるが読めないと言うことは往々にしてあり得ることで、油断すると転んでしまうこともあります。
そして、「話すと言うこと」
此れ、何気なく日常していることですが、改めて考えてみると、そう簡単なことをしているわけじゃないと思えてきます。
独白をしている人はちょっと休んでいて貰って(笑)、会話をしている時には、言葉を使って伝達していると同時に、自分の内部(頭の中?・こころの中?)に在るものを手放す(放す)と言うことをしているんじゃないかと思うのです。
話したら、気が軽くなった。話したら、すっきりした。
そういうことがあると思いますが、自分の中に占めていたことを外へ放り出す。と言うこと何じゃないかと思ったりするのです。
もちろんそれが全てでは無いでしょうが、書くと言うことも、想いなどを文字に認めて、体外に出すという意味が大きいんじゃ無いでしょうか?
或るブログを読んでいて、悪気があるわけでなく、ただ吐き出す場所がブログなんだと書いてあって、それでいいんだと思いながら、この場合は、書くことが放すこと何だろうなぁ。って。
もぐらくんは何が言いたいの?って、こられると、何なのでしょう?と言うことになってしまいますが、それはもぐらの文章による表現が稚拙なのであって、それはすぐ認めちゃうので、優しいまなざしで受け止めてくれると、もぐらはとても嬉しい気持ちになります。(*^_^*)
或る意味、かなりご自由な読み方が出来るというか・・・(^_^)/