もぐらくんの生活(Carpe diem)

COPDを抱えて、仮想空間「もぐら堂」で日々の生活をボチボチ綴っています。

もぐら堂から 寄り添うと言うこと

もぐらです。 (^o^)//
 
もぐら地方はとても寒いです。
どうも、もぐらの体のどこかにあの暑かった夏の記憶が残っていて、
多分、確かにもうすっかり冬なのでしょうが、心と体と記憶が一致しません。
 
旅に出ていると、いろいろなことに出会い、そのたび毎に何かもぐらも
変わっていくような感覚があります。
かなり好奇心が強いもぐらはつい長旅をしたくなります。
 
尤もそんな旅が出来るのも安心して帰れるもぐら堂があるからでしょう。
 
ここに来て、不本意ではありましたが、もぐら堂に帰ることになってしまいました。
 
もぐらの仕事は土地家屋調査士なのですが、(今は認定土地家屋調査士です。)
基本的には、法務局に登記の申請とそれに伴う測量と言うことになっています。
審査請求もありますが、もぐらは来たことはありません。
 
業務の内容はともかく、何故旅から帰ることになったのか・・・
 
*・・・ 以前業者の言われるままに土地家屋調査士に土地の分割(分筆)を依頼したが、
    屋根が隣地に出た形で登記したようだ。当時の調査士に確認したところ、出ている
    ことは気づいていました。今更言われても、知りません。もう時効です。
 
*・・・ 遺産分割協議は調って、相続税の納税もしてしまった。そこでいざ土地を分けようと
    もぐらさんに依頼したが、現地で境界を教えて貰ったら、自分の思いと違う場所だ。
    兄弟の連れてきた税理士にまんまとやられた。裁判に訴える準備をすることになると
    思うので、もぐらさんには登記は待っていて欲しい。
 
今回に始まったことではありませんが、本当に多い事例なんです。
弁護士も税理士も建築会社も、情けなくも同業者もヤリ逃げが多い。
何故か?
簡単な話で理由は二つしかありません。
お金になるか、ならないかで仕事をするから。
知識と技術が稚拙、若しくは自分の業務からの視点でしか業務をしないから。
これもとどのつまりはお金ですね。
 
仕事をやったはずなのに、そのことが問題を内在させた形で終わらせたため、
次のステップで問題が顕在する。しかもその時はもう戻れない状態になっている。
 
何故だろう?・・・
 
当たり外れの状態になっている。
 
もぐらの事務所はそんな事件の解決をもとめられることが多い。
もぐらの事務所は寄り添う事務所と言うことで認識して貰っているのですが、
なんだか追いかけっこのような・・・
 
・・・
 
「虫歯を無くしましょう。80歳で20本の歯を残しましょう。」と歯医者さんは頑張っている。
頑張っているのに、患者は減らない。
 
無くならないな・・・ 歯医者さんももぐらの仕事も・・・
 
寄り添うと言うことは、お金を考えないことに通じます。
もぐらの知り合いの心ある資格人たちは苦しいです。
贅沢は出来ていません。
その代わり仕事は立派だ。
 
「寄り添うと言うこと。」
 
実はこの言葉、もぐらが自分で取り上げようと以前触れたことがあるのですが、
考えてみるとあまりに対象に際限がないことに気づきました。
 
・・・仕事において寄り添う。
それは人にたいしてなのか?業務にたいしてなのかなのか?
 
・・・家族に寄り添う。
それは人間そのものにたいしてなのか?気持ちにたいしてなのか?
 
・・・東北大震災に寄り添う。
それは人々にたいしてなのか?問題にたいしてなのか?
 
・・・ 寄り添うと言うことはそばにいることなのか?
・・・ 東北大震災にたいし、離れたところで心を寄せることは寄り添うことにはならないのか?
 
・・・
 
自分自身はどうだろう?
 
「前へ」・・・もぐらの好きな言葉です。
 
もぐらも悩みもあれば、苦しみもある。
自分の悩みに自分が寄り添う必要があるのか?
自分の苦しみに自分が寄り添う必要があるのか?
 
言葉と概念というものは誠に難しい。
 
悩みを抱えると表現する人もいる。
苦しみを抱えるという人もいる。
 
悩みや苦しみに寄り添うことが、抱えることが、今日一日のもぐらの費やす時間で
良いのだろうか?
 
多分、そのようなことにつきあっていられるほどもぐらの残された時間は多くないと
おもう。
 
それにしても大それた言葉を取り上げてしまったものだ。
 
眼光紙背に徹せられず。ちょっと反省。(^O^)//
 
※リコメ・コメの心の余裕ありません。すいません。