もぐらくんの生活(Carpe diem)

COPDを抱えて、仮想空間「もぐら堂」で日々の生活をボチボチ綴っています。

「まだまだ続く」 もぐら(の)(と)(は)COPD! (^_^)/

 もぐらです。

 

 このブログに訪問してくれて、

 いろいろな形で応援してくれる皆さん、

 さらに、愛の告白を何度もしてくれるみなさん、

 いつも、とても、とても、たくさんのどうもありがとう。(^_^)/

 

 今日は4月23日、日曜日。午後4時半を過ぎたところ。

 強風が収まって、穏やかな日差しがもぐらの背中をさすっています。(^_^)

 近くの公園から声が聞こえます。

 こういう贅沢な時間が突然訪れるんですね・・・。

 

 以前から、もう一匹もぐらが欲しい!という希望があるんですが、最近また、もぐらが

 一匹欲しいような話があって、もぐら自身も自分では5匹ぐらいいると、便利だし、

 楽しいかなって思ったりします。

 

 でも、嬉しいんだけど、どうも2匹以上は、現在無理のようで、残念ですけど、自分も

 含めて諦めるしかないようです。(+_+)

 

 まぁ、もぐらが一匹欲しいって言うのは嬉しいですよね、やっぱり・・・。

 カワウソくんも可愛いので良いのですが、飼いやすいのはもぐらのようなような気が

 します。(一匹 ¥65,000円 手なずけやすい)

 

 あっ、桜を思い浮かべて、いきものがかりが出てきて、カワウソが出てきて・・・。

 違いました!

 きっとお待ちしてしているだろう(ほんとは誰も待ってない)もぐらのテーマを

 この素敵な贅沢な時間を費やして(余計なこと)書こうとしているのです。

 これが大事。

 

 なんか指が疲れてきた・・・(^^;)

 

 もぐらの性向。前振り長くて、本質5行!

 早くしないと暗くなって、もぐらは目が見えなくなってしまう!!!

 

 ・・・(今回長いです。引き返すなら今です!)・・・

考えるために音楽を入れておこう!

Astor Piazzolla (ピアゾラ) Soledad 入れちゃおうかっな~

やめよう(^^;)

 

文字どおり(^_^)/

 

 もぐら(と)COPDです。

 もぐらが重度のCOPDに侵されているのが分かったのは、何度も書いているように10年余

 前ですが、その時はもう立派なCOPDになっていて、時計のスタートボタンは押されていて

 手遅れだったんです。

 原因はもぐらの場合は「たばこ」だったんですが、もぐらの肺の方が問題があって、たばこに

 非常に親和性が高い(=たばこの影響に弱い、修復力が非常に弱い)肺だったので、COPD

 発症してしまったんです。資格仲間は仕事で現場もあるので、みんな吸っていました。今でも

 元気に?吸っている人も多く、たばこに強い肺なんです。

 

 本当、喫煙者の16%しかCOPDにならないので・・・。

 

 もぐらは「当たり」肺だったんですね。

 癌は最終的に50%の人がなるんですごい確率です。

 症状は何しろ「息切れ」と言われるものです。

 この「息切れ」、実は非常に難しい感覚でして、今もって、医学においても、「息切れ」と

 いう感覚が脳内でどのようなものかの機序が分かっていない。

 実を言うと、もぐらも正確な表現をもっていない。

 

 「空気が吸いたい」「空気が肺で足らない」「空気が吸えないので動けない」などの表現を

 便宜しているだけで、多分なってみないと分からない感覚だと思います。

 

 仕事には、特に現場にはかなり支障をきたしていて、遠からず無理かも!・・・。って、

 自分でも分かりました。

 主治医も持って10年っていうし。

 実は判明後の最初の1年間はずっと、夜になるともぐら堂で泣いていたのでした。

 やりたいことたくさんあったしなぁ~。

 初めてじゃ無いけど、手の施しようのない病気であることが現実であり、現実に「死」を

 考えるようになりました。

 治ることじゃなくて、自分の死をどのように自分の中で理解するのかというが大切でした。

 怖いという気持ちは全くありませんでした。

 もぐらが変わっているのか?

 みんな死ぬんだし、って、小さい頃から思っていたし、長じては単純な長生きの悲劇も自分で

 見てきたし、親も叔母も送ったし。知識は山ほどあるんで、問題は自分の「最終的な満足」が 

 問題だったような気がします。

 それもとりあえず、1年で解決したので、元気な病人を続けています。

 その基になったのは、もぐらの思想というか、哲学というか、そういう知識をとことん煮詰

 めたものなのかも知れません。

 死って、怖くないです。基本自分は自分の死を知らないんで・・・。

 もぐらはあまり感情的では無いので、理性的になっちゃうんですね。

 昨年の脳卒中は良い経験になりました。

 激しい頭痛の後、ICUで目覚めるまで全く何も知りません。

 死ななかったから、生きているだけで、脳卒中で亡くなる人もいるんです。

 もぐらが死んでいたら、何も知りませんよ。(ちょっと、養老孟司に似ているところがあり

 ます)

 

 「死」は残った人たちの中にあるもの。

 人生に満足して逝ってくれたのかを考えるのも残った人たちのもの。

 生前おやじが、「死んだら生き残ったものに全て委ねるしか無い!」と言っていたのは、

 けだし名言であるような気がします。

 

 個人的なお話がとて~も長くなりました。

 今日は多分、もぐらに(と)っての客観的なCOPDに関する内容になったんじゃ無いかと

 思います。

 

 指と頭が勝手に動いてしまった。(^_^) 上の早い行に長いって書いておかないと(^^;)

 

 では、また~(^_^)/